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【d30.jpg:Porta della Rocca e Torre dell'Orologio時計塔(町の西門)】

Salo/Salò サロー:

ガルダ湖の西の入り江に面したリゾート地。
たくさんの文化・観光を持ったこの町には、実は隠したい歴史があるのです。

ロンバルディア州ブレシア県】   [北村 峠一].(Kitamura)      


sirmione
【ガルダ湖周辺:南のSirmioneからSaloへ】
 Sirmioneシルミオーネからガルダ湖岸にそって西へ行く道は、氷河の作ったモレーン(岩屑、氷堆石)の山。かなりの急坂を登り、眼下の湖岸の町Saloサローに向かって下ります。

 さてこの先、目的の峠に近いCollioコッリオに向かうのですが、途中はかなりの山道で人家も少ない場所? 今日はこのあたりで宿を探そうと、旧市街のはずれにある駐車場に車を置き歩いて宿探しです。

 町はガルダ湖へ下る傾斜に並行する数本の通りだけ。その狭い市街地には車を入れにくいだろうと、町の西門(Porta della Rocca e Torre dell'Orologio時計塔)の脇にすぐ見えた、ひとつ星の安い宿(B&B 58Eur≒8000\/2人)に決め、ガレージに車を移動します。

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【d47.jpg:1377年頃の城壁に作られたPorta della Rocca e Torre dell'Orologio時計塔の西面。Hotel-Edenは目の前】

 さすがに☆1つのホテル、狭い部屋にひさしのように突き出した小さなベランダは、薄い床と針金のようなフェンスの危うさで、ちょっとヒヤヒヤです。でも赤レンガ屋根の波と、家々の裏庭をとおして見える生活観のある町の風景はなかなか情緒もあります。日差しが少し弱まった5時ころ、夕食がてら町に散策に出ます、さてどんな町なのでしょう。

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【d29/d28.jpg:宿の部屋からの町の眺め】 【d31.jpg:古い建物の間は狭く、レンガで作られた暖炉の煙突(?)も直線ではない】

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【1c8.jpg:時計塔から東へ、Via S.Carlo通り:ブランドショップなどが並ぶ】
Salo市街図
 この温暖な町の歴史は、古代ローマの前、古代エトルリアからあるといいますが、町一番の見所は、ここDuomoドゥオーモ。15世紀に建造された後期ゴシック様式の大聖堂です。

 当時このガルダ湖周辺は、神聖ローマ帝国領からヴェネツィア共和国領に指導権が移っていった場所。ハプスブルク家のフリードリッヒ3世(1440-)/マクシミリアン1世/カール5世(-1556)など、結婚政策によるスペインはじめアジア・南北アメリカまでもの世界帝国への拡大の時代。一方、これら東方貿易で富を蓄えたヴェネチア共和国が、ヨーロッパ内でも勢力拡大していった時代と地域なのです。

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【d33.jpg:Duomoドゥオーモ:15世紀建造の後期ゴシック様式の大聖堂】 【d34.jpg:大聖堂右の礼拝堂の建物の色・デザインも歴史を感じます。いくつもの古い絵画などが】

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【209.jpg:Giuseppe Zanardelliジュゼッペ・ザナルデリ(1826-1903):1901-03イタリアの首相】
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【251.jpg:町のカラフルな建物】
 その後オーストリア帝国、フランス・ナポレオン1世の侵略を受けますが、1859年にイタリアとしての統合・独立を果たしたのです。町の中心広場Piazzo della Vittoriaヴィットリアを囲む建物もその歴史を見てきたのでしょう。

 うつむいて立っている像は、1901-03年のイタリア首相、Giuseppe Zanardelliジュゼッペ・ザナルデリ(1826-1903)。彼はここブレシア県の出身、1901年のサローの大地震の復興に貢献した人物でもあるのです。

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【1a2.jpg:Palazzo della Magnifica Patriaマニフィカ・パトリア館:16世紀建造。役場と博物館】

 そして1915-18年の第一次大戦で、この町もたくさんの犠牲者を出したのです。

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【1a7/223.jpg:第一次大戦の忠魂碑。100名近い名前が刻まれている】
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【257.jpg:第一次大戦の碑を反対側から見ます。広場がガルダ湖に面しており遊覧船が時々客を運んでくる】

 このレストランで、看板にある「Today Special:1/2Roast Chicken with Chips and Saladローストチキン:6.5Eur(≒900\)」とビールを頼み、ゆっくりと時間を稼ぎます。広場を通行する観光客などを観察するためです。

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【241.jpg:広場にテーブルを出すレストランで夕食と・・通行人の観察を】


●ところでこの町は、大きな何かを隠していますね。記念碑や肖像にしたくないこの事実が、歴史的に名誉でないことからなのでしょう。

 それはこの町が

サロー共和国(Repubblica di Salo)/
イタリア社会共和国(Repubblica Sociale Italiana, RSI)の首都

だったということです。第二次大戦末期の話です。

 1922年から独裁体制にあったイタリアの首相ベニート・ムッソリーニBenito Mussolini(1883-1945年)
Mussolini
は、1940年、第二次世界大戦に枢軸国として参加します。

 しかし彼の軍事指導は振るわず、連合国軍のシチリア島上陸などで劣勢になり、1943年7月25日彼は首相を解任され逮捕、ローマ東方の山地にある山荘に監禁されたのです。9月8日後任のピエトロ・バドリオ首相は無条件降伏をします。

 ところがドイツ・ヒトラー軍は、ローマ以北を占領。9月12日グライダーとパラシュートの特殊部隊によってムッソリーニを救出し、9月23日ファシスト政権傀儡(かいらい)のイタリア社会共和国をサローに樹立したのです。

 イタリアはドイツ勢力下の北イタリアと、連合国後援の南部イタリアの大規模な内戦状態となります。

 しかし1945年になると連合軍の北上やパルチザンによる抵抗の結果、ムッソリーニは逃亡。コモ湖付近でパルチザンに捕らえられ、4月28日愛人クララ・ペタッチとともに処刑、逆さ吊りの遺体が群集に晒されるという衝撃的な映像が世界に流れ、サロー共和国も終焉を迎えたのです。

http://www.custermen.com/から】

(ウィキペディア:Wikipediaなどから)
 下の写真はPiazzo della Vittoria広場で6時から2時間あまり、ジョッキ2杯で眺めた街の人や、観光客です。

 まずこの坊や、両親に連れられてこの町に観光に来たのでしょうが、本当に暇です。親のテーブルと大戦の記念像を行ったり来たり。サンダルの裏をのぞいたり脱いだりと、時間を何とかつぶそうと努力しています。

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【204.jpg:いたずら坊や】

 こちらは20人ほどのフランス(?)からのツアー客、皆この赤のTシャツを着ていますが迷子にならないような色にしているのでしょうか。シャツにあるマークは2004 Tour d' Italyと書いてあるようです。丸一日連れまわされ、うんざりする歴史などの説明に大きなあくびです。このあと私のビデオカメラを見つけたのか彼女ににらまれましたね。

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【272.jpg:イタリア観光ツアーの客が広場に。説明を聞きながら大あくび】 【295.jpg:イタリア観光ツアー:マーク】

 大学生か高校生。夏休み前の課外授業でこの湖に来ているのでは? 若い娘が、へそや背中を出すのは当たり前、タトゥー(刺青)がそのすき間からときどき見えます。まさか本物ではないと思うのですが。

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【297.jpg:若者たち】 【293.jpg:家族連れ】

 この愛嬌ある坊やは、実はすごくおとなしいのです。両親は僕たちの隣の席で静かに食事をし、この坊やもマナーを守って食べていたのですが、食事後、忠魂碑からこちらに見せた表情は実にかわいらしくて。

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【2b2.jpg:おとなしげの坊や】

 レストランのマダムの1歳ほどの赤ん坊。ヨチヨチとテーブルの間や広場周囲の店に挨拶に動き回り、お母さんも目が離せないのです。でもこれが客商売をする上で一番大事な一歩なんですね。

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【2a8.jpg:レストランのマダムと息子】

<サロー共和国 に関するサイト>

 ☆歴史の中のエズラ・パウンド【第二次世界大戦】
 ☆ベルサの歴史【RSI(サロ共和国軍)の兵士の写真など】
 本『ムッソリーニ イタリア人の物語』【ロマノ ヴルピッタ Romano Vulpitta】
 本『イタリア敗戦記 二つのイタリアとレジスタンス』【1943-1945年のまでのイタリア王国:サロ共和国分裂・悲惨な本土戦時期の通史】
 本『イタリア・パルチザン --母と子でみる46』早乙女勝元【ムッソリーニ処刑の場所など:p50-】
 映画ソドムの市Salo, or The 120 Days of Sodom (1975)【監督:ピエル・パオロ・パゾリーニ:マルキ・ド・サドの「ソドムの120日」原作】
 ☆ソドムの市【パゾリーニ映画鑑賞の試み:相談室】
 ○http://www.villa-fiordaliso.de/【Gardone RivieraはSaloの北東の町のホテル。ムッソリーニの愛人クラレッタ・ペタッチもここで過ごした】


 食後、ガルダ湖に沿ってたそがれ時のサローの町を散策します。入り江に突き出した建物や教会の楼の造形、たそがれ時の水辺を行く家族・子供連れものんびりとした時間を楽しんでいます。緑で覆われたテラスには、ワインを飲む何人もの人たち。

 共和国をこのサローに作ったムッソリーニ、その愛人も、この小さな町と、北にあるGardone Rivieraガルドーネ・リヴィエラがお気に入りの地だったようです。

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【d36.jpg:ガルダ湖の入り江に突き出したドゥオーモの鐘楼と、町並み】

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【d41.jpg:】

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【d40.jpg:】

<Salo周辺の不動産価格>

 町の中で見た不動産屋の物件のチラシです。 salo
 【d49.jpg:不動産情報】

写真左中の物件は、Bilocali Eur 75,000(2部屋で約1000万円)、Trilocali Eur152,000(3部屋で約2000万円)
土地付きの物件は、Eur252,000-450,000(約3500-6300万円)
  と、日本より高いのでは?

 1つ星のHotel Edenエデンに戻ると、そこには夏休み前の旅行なのでしょう、中学、高校生と思われるにぎやかな声が響いていました。いくつもの民家をつないで改築したような、部屋数だけは数十もあるこの古ぼけたホテルも、学生などの団体客が来ると満杯になるのです。

 階段を上り下りする元気のいい声、僕たちの下の階の同じように危ういベランダにも、何組もの学生たちが雑談しています。 女の子の部屋、男の子の部屋、時々ペアの子供も見えます。遅くまで彼らの明るい声が、窓辺やドアのほうから漏れ聞こえ、サローの夜が更けていきます。
−−−

 翌朝レストランに降りていくと、数十人の小学校高学年くらいの生徒が静かに食事中。僕たちをちらちらと見ますが、一人だけいる大人が引率の先生でしょう。しばらくすると高校生くらいの男女4人が部屋に現れ、その小学生たちと話を交わします。ボーイスカウトのキャンプに行くと、シニアスカウト(高校-大学生)が彼らの生活指導をしますが、あの風景ですね。違うのはボーイとガールが同時にキャンプに行った感じでしょうか。

 先輩の言うことを素直に聞いていますが「ほかのお客(僕たちだけしかいませんでしたが)の迷惑にならないように」、とでも指導しているのでしょうか。頼もしく感じた彼らも、下級生が部屋に帰った後には、二組の若者カップルのベタベタ感に変わりました。

<Saloサロー関連のサイト>

 ☆Garda湖を代表する保養地、Salo`【La Brezza Italiana:イタリアの風:サーロ】
 ○http://www.bresciainvetrina.it/bresciaturismo/lagodigarda_salo.htm【Salo】
 ○http://www.garda.com/context_localita_Salo.asp【サローの町のガイド】
 ○http://www.comune.salo.bs.it/【Comune di Salo】
 ○Hotel Eden【泊まったホテル:B&B 58Eur≒8000\/2人。現在は2☆になっていた】


<久しぶりに山岳地帯に入って行きます。目的の峠はManiva(1664m)やGiogo d.Bala(2162m)などCollioの北です・・・>

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