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【d06.jpg:Pao.di Rolle ロッレ峠(1989m)から見える尖ったCimon de la Pala(3184m)】

Pso.di Rolle ロッレ峠(1989m)

 見事なCim.Palaパーラ山頂。この峠道は1874年にオーストリアが築いたもの。どんな目的で? 【●峠のDBへ

ドロミテ:Pale S. Martinoパーレ サン・マルティーノ・エリア】  
[北村 峠一].(Kitamura)      


 BellunoベッルーノからRolleロッレ峠に向かうルートですが、旅に出る前考えていたのは
「Belluno→Agordoまで戻り→Aurine峠(1299m)→Cereda峠(1369m)→・・」だったのです。

 しかし、数日前に懲りた、高度への順応が鈍くなくなっていること、高度が1500m以下と低い峠であること、この先まだ長い旅なので無理をしないことなどを考え、整備されている幹線道路で行くことにします。
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 ピアーヴェ川に沿ってFeltreフェルトレへ、その先Cismonチズモン川をさかのぼり「Cimonegaチモネガ・エリア」を北上。

 何日かぶりにヴェネト州からアルト・アディジェ州に戻ってきます。この渓谷の道、両側に山が迫り見晴らしのきかない、そしてあまり自然の豊かそうな村々ではないようです。これからまた店もないような田舎の場所に入るのでと、Primeroプリメーロ村のスーパーで昼食などの補給をします。
(リンゴ・バナナ・ズッキーニ・パン・キャラメルなど)

Pale S. Martinoパーレ サン・マルティーノ・エリア」の峠道はさらに展望のきかない渓谷。そんな道脇の駐車エリアで昼にします。木々の間、雲の切れ目から険しそうな岩山が時々見え始めます。Pale di S. Martinoパーレ・ディ・サン・マルティーノの山群です。

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【122.jpg:S.Martinoまで後数kmの川沿いで昼に。雲の切れ間から、険しい岩山が時々見える。左がS.Martino方面】

 San Martino di Castrozzaサン・マルティーノ・ディ・カストロッツァのリゾート地に入りましたが、まさにシーズンオフ。スキー・山登りの基地も、この昼時だというのに観光客は誰も見えません。通りに面したホテルも鍵がかかり、商店すらも開いていない町です。まだ1時、当初ここで宿を見つけようかとも考えていたのですが、峠の先で見つけることにします。

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【123.jpg:S. Martinoのリゾート風景。正面の道から上ってきて、右端の道で峠へ】

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【134.jpg:右のPale di S. Martinoパーレ・ディ・サン・マルティーノの山群に沿って北上しているはずだが、峠は左へ】

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【133.jpg:S. MartinoからRolle峠まで9.5km】





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【144.jpg:峠直前、南側。1984mの標示】
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【150.jpg:峠直前、ジグザグの道で南北の位置関係が不明だが、山の形は峠の上からとほぼ同じ】

 Passo di Rolleロッレ峠に到着です。【●峠のDBへ
南東の方面、Cimon de la Palaパーラ山頂(3084m)の鋭い尖りが、動く雲の間から見えています。さらに左にはCima-Focobonフォコボン山頂(3054m)もはっきり見えています。ジァウ峠のような360度の眺めはありませんが、ここもなかなかいい展望です。

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【d05.jpg:峠頂上から南東方面:Cimon de la Pala(3084m)の尖りが雲の間から。Cima-Facobon(3054m)もしっかり見える】

 いつもの通り、一周の眺めを撮影します。平坦な峠の頂上、周囲にスキーリフトがたくさん見えますから、サン・マルティーノからもスキーバスなどが頻繁に上がってくるのでしょう。 当然登山シーズンには、周囲の山へのハイキング、クライミングの愛好家もあの岩山に取り付くのでしょう。
周囲の山の名前など、このサイトの写真なども参考に

 この峠の標高は、いろんなところで表示が変わります。ADAC社の地図では1989m、峠のカンバンと峠の土産屋サイトは1984m、ある地図は1972m、Euro-atolas社の地図と旅行協会ガイドは1970m。最大の差は19m。この差は、また例のやつでしょう。

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【176.jpg:Pala頂上の左にBureloni頂上、Facobon頂上。左にMulaz(2906m)が】

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【175.jpg:Mulaz(2906m)の左に、山小屋/お土産屋Cimone2000】

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【188.jpg:右手はTravignolo渓谷に下る方向。正面(南西)の三角はColbricon(2602m)でしょう】

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【187.jpg:南側の眺め、スキーリフトがいくつもあり、大きなゲレンデ風景】

 西にあるPredazzoプレダッツォから、このRolleロッレ峠を経て南のPrimieroプリミエロをつなぐ峠道は、1863年から1874年の間に、オーストリアによって作られたそうです。

 長くチロルの領地だったこのエリア、ナポレオンの第二次イタリア遠征(1800年)でフランスの勢力範囲となりますが、彼の没落後のウィーン会議(1815年)にまたオーストリア領(チロル)に戻ります。そのときに東に隣接するヴェネチアもあわせてオーストリア領になりました。

 時のオーストリア皇帝はフランツ・ヨーゼフT世(1848-1916)。峠道の工事中の1866年には、ヴェネチア・エリアはイタリアに割譲され、オーストリア・ハンガリー二重帝国(1867年)になるなど、オーストリアの勢力は少し衰えてはいましたが、このチロルはオーストリア領のままでした。

 アルプスの南で、イタリアに接したこのチロルをいかに統率し、峠で隔てられた村々への街道を確保・充実し、民意を納得させる必要性も大きく、道路整備などを行ったように推定するのです。当然軍事目的もあったでしょうが。

 しかし結局は、第一次大戦の敗戦に伴ってこの地はイタリアに渡って(1919年)しまうのですが。


<Passo di Rolle/Cimon della Pala 関係>
Pala Reflection  ○http://www.cimone2000.com/【Rolle峠の土産屋・HOTELのサイト・・・街道の歴史など、有効な情報がたくさん。峠を1984mと記載している】
 ○http://www.dolomitisuperski.com/【Rolle峠:ここでは1980mとしている】
 ○http://www.trentino.to/【Rolle峠】
 ○http://www.summitpost.org/【Baita Segantini, Cimon della Pala】


<Pso di Valles峠を経て、Falcadeファルカーデでのんびりと・・・>

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