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Nassfeld-Rupertiweg

Kirchbach キルヒバッハ
 パオロ・サントニーノが500年以上前に旅した『中世 東アルプス旅日記』の一帯に6年ぶりに入ってきました。

 折り紙の神話は、そろそろおしまいかもしれません。
[北村 峠一].(eu-alps)      


 今回の旅の前に、『中世東アルプス旅日記』パオロ・サントニーノ著、舟田詠子訳、筑摩書房という本を見つけ、その地図部分をCopyで持参しました。 【●関連情報

 彼は司教ピエトロ・カルロとともに1485、86、87年の3回にわたって、このオーストリア南東部とスロベニアの教会を回ったのです。1460-80年頃、トルコがこのヴェネチア北部に侵入し、特に教会と墓地は、聖遺物、貴金属などを目当てにした破壊・略奪がすさまじかったようです。その聖洗の旅の日記には、当時の生活・料理などにも広く触れていて、当時のパンの文化などを研究されていた、舟田さんの目にとまったのでしょうか。

 彼女の本『アルプスの谷に亜麻を紡いで』や、『誰も知らないクリスマス』、『アルプスの村のクリスマス』などに、かつて訪れたことのあるMaria Luggau マリア・ルーカウ村の記事もあって、その関連でこの本も見つけたのです。



Kirchbach
【00.jpg:峠を下り、Tropolachトレポラッハ村で左折、Jenigを経てWaidegg・・・】

中世東アルプス旅日記
●当時の地図:クリックで拡大、『中世東アルプス旅日記』の説明
 ナスフェルト峠のオーストリア側の傾斜はなだらかで、緑も豊か。そしてゲール川が作る平野に下りたあたりで、Tropolachトレポラッハ村の標識を見つけます。

 パオロ・サントニーノは1485年10月21〜23日、このトレポラッハ村に滞在し、近隣の教会を聖別したこと、連日の豪勢な午餐会・昼食・朝食のことを書いています。(p49-p52) 当時からこのあたりは、豊かな地だったようです。

Kirchbach
【11.jpg:TresdorfからKirchbachキルヒバッハの村に】

 間もなくKirchbachキルヒバッハの村に到着します。この村の教会の門を覚えていたのです。1997年の旅で、クラーゲンフルトからドロミテに向かう道すがら、この独特な形の門とカラフルな教会は思い出に残ったのです。あの時は昼食の後で、空もなにやら怪しくなって・・・道を急ぎ40kmほど先のマリア・ルカウの教会に立ち寄っただけでカルティッシュ峠を越えたのです。

Kirchbach 1997-Kirchbach
【50.jpg:St.Martin聖マルティン小教区教会の東の門は、1997年の旅のときに見た風景】

 今回は時間にゆとりもあり、ちょうどお昼前、さらに教会の向かいに銀行もあります。スロベニアで残った紙幣をユーロに換金するチャンスです。12時ちょうどに昼休みになってしまうので、急いでそのVolksbank(国民銀行)に入ります。残額の6440Sitトラールは、手数料(2.36%)を引いて26.5Eurでした。この換算率「243Sit/Eur」は、スロベニア内の店の大雑把な「200Sit/Eur」とは大幅に違いました。それだけユーロ通貨が強く、EU加盟に向け手に入れたいのでしょう。

 店内に銀行員はたった一人、それも内部に簡単に出入りできるカウンター。銀行強盗が来たらどうしようと心配なほどです。でもこのおねえさん、なかなか美人で愛嬌がよく、つい話し掛けたくなってしまいます。
「この村に約10年程前に来たけれど、きれいな村ですね」 (6年目なのにサバ読んでましたね)
「えー、そんな前に日本から来たことがあるんですか・・・私はまだ小さくて・・・」と驚いています。

 リーン・リーン・・・残念なことに、ちょうどそこに電話がかかってきて、会話は中断です。昼12:00の休み時間の直前、昼を一緒に?などの彼氏からの誘いの電話でしょうか。

Kirchbach
【62.jpg:教会の道路の向かいの銀行で両替をし、スーパーで買い物。喫茶店で軽く昼を】

Kirchbach
【30.jpg:教会の前の道路。遠方に見える山がイタリア国境。あの山を登って、Sella di Val Dolceセッラ・ディ・ヴァル・ドルチェ峠(1781m)を経て、イタリアのPso.del Cason di Lanza カソン・ディ・ランツァ峠(1552m)に行く方向】


 銀行のならびにSPAR(スーパマーケット)があり、買い物に入ります。この先、また山道に入るし、土産なども何かないかと10分ほど店の中を探して・・・買ったものは
 ・花の種2種・・・(@0.79eur≒110\*2)・・・ワイルドフラワー:牧場の雑草?の花ですが、育ってみるとなかなかきれいだし、気候に強いのです。
 ・パン・・・(@1.89≒260\)・・・バターロールのようなものだったはず。結構高めです。
 ・ジュース2個・・・(@1.35≒190*2)・・・300ccほどの紙パック入り、これも安くはない。
 ・果物/野菜:トマト(0.28≒40)・ズッキーニ(1.89≒260)・バナナ(0.99≒130)・チェリー(1.23≒170)
   ・・・サクランボとトマトは、絶対こっちのほうが安いし美味しい。ほぼ毎日食べてましたね。

 買い物のあと、このSt.Martin聖マルティン小教区教会に入ってみようと思ったのですが、扉は閉まっていました。パオロ・サントニーノの日記には「1485年10月21日、この教会の主任司祭に会う。小柄痩せぎす、しかし博学で頼りになる方、これまでの旅で比肩する人物は見出せなかった。くまなく先を気を配って・・」と絶賛しています。もう500年も前のこと、このカラフルな教会もトルコ軍の侵略で相当痛めつけられた状態で、余裕もなかったのでしょうが、気配りしてくれる人への感謝が現われていますね。

Kirchbach Kirchbach
【16/24.jpg:St.Martin聖マルティン小教区教会のピンクの壁の色と、西側の門のさらに鮮やかな色と、宗教画】

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<折り紙神話は、もうそろそろおしまい?>

 教会の西に面したレストランで軽くお茶を飲み、トイレを借りることにします。店のテラスにあるテーブルに座ると、奥さんが注文を取りに来て、しばらくすると10歳くらいの男の子が、水とスティク状の菓子を持ってきてくれました。珍しいことです。このヨーロッパで、無料の水を持ってきてくれることはまずありません、さらにちょっとしたお菓子までも。この地方の方が、日本では必ずテーブルに水が出るということを知っていることと、日本人に対して親密感を持ってくれているからでしょう。

 そしてこの坊やがこんな風にお手伝いをしているのは、きっと学校施策の夏休み前・郊外学習や、家事手伝い課題などの一環と推定します。
「えらいねー、お店の手伝いが出来て。じゃー坊やに何かプレゼント上げようかな・・・」と思い・・・カバンの中を探し・・・唯一あった折り紙から数枚を出し、妻に教えてもらいながら「ツル」と「だまし舟」を折ります。で、次にコーヒーと紅茶を運んできてくれたとき、それを渡し遊び方などを教えたのです。・・・が、この坊や、まるで興味湧かないのか、持ち帰ろうとしません。

 店の中からその状況を見ていた奥さんが出てきて、「Origamiオリガミ面白いじゃない、貰ったら?」というようなことを子供に言っていますが、子供にとって何の価値も感じないようです。このアルプスエリアのあちこちで、「Origamiオリガミ」という言葉は広く知られた言葉になっていて、僕たちが紙を見せるだけで「オリガミ」という言葉が出てきます。小学校などでこの紙を使った遊び・授業があるのかもしれません。大人たちには、その折った「ツル」などに興味は残っているのですが、子供たちや若い人たちにはまるでそこに価値を見出さないのです。

 旅の紀行文などに「折紙で旅先の人たちが珍しがって近寄ってきて・・・仲良くなって・・・」という記述を読むことがありますが、今ではその神話はもうなくなろうとしているのを感じます。(コーヒー+ティー:3.8eur≒530\)


<ゲール川を西に・・・マウテンの町に。そこからプロッケン峠で、またイタリアに・・・・>
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