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piran-Tartini 【1a6.jpg:ピラン:音楽家Tartiniタルティーニの像】

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Piran/Pirano ピラン/ピラノ-1
 アルプスの大分水嶺の両端は、西はフランス・ニースの海、東はスロベニア・ピランの海だと勝手に決め、海の水を触りに行きます。

 まるで真夏のような灼熱の港町。この高台に登ると、ヨットの浮かぶ港、赤レンガの屋根瓦が眼下に広がります。イタリアとクロアチアもすぐそこ。
[北村 峠一](eu-alps)      


<2003.6.12(木)>
 ヨーロッパアルプスの大・分水嶺の両端は海(のはず?)。西の端はフランス・ニース付近。あの白い砂浜と青い地中海の海には、フランスアルプス縦断の旅の最後にたどり着きました。東の端はギリシャに向かっていますが、このスロベニアでアルプスも終わるので、地中海・アドリア海の水を触りに行くことにします。

 プレット洞窟城の山を下り、Razdrtoラッドルトから高速道路に乗り(270Sit≒160\)、世界遺産のシュコシャン洞窟群Skocjan Cavesの出口や、イタリア・トリエステ方面への分岐点を通過し、まだ工事中のためホコリだらけの一般道などを走り一路西へ、Koperコーペルの先、Portrozポルトロジュの先、Piranピランの海へ。

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【102.jpg:プレッド城から高速道路を南西に。行く手にPortoroz/Portoroseの表示。が、Pula/Pola/Porecってクロアチアの港名?】

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【126.jpg:右手に海が見えます。Koper/Capodistriaの港】

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【137.jpg:Koperは貿易港。さらに西に】 【148.jpg:Portorozポルトロジュを越えPiranの町に。町に入るには駐車代金が必要】

 この町にはすべての車がパーキングチケットを買って入る仕組みです。平地がほとんどない小さな港町なので、さらにこの白い壁・赤い屋根の歴史ある建物、ヨット一杯の街の見学料(2時間1000Sit≒600\)だと考えることにしましょう。港に沿ったカーブを右に入ると町の中心広場です。

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【161.jpg:たくさんのヨットが係留されているピランのLuka/Port港にそって、町の中心に向かう】

 ちょうど昼休み時、これだけ車が一杯だと中心部に駐車スペースを見つけるのは無理かなと心配しましたが、タイミングよく出る車があって。まずいつものバレリーナの一回転、タルティーニ広場の360度ビデオ撮影です。
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【189.jpg:町の中心の広場。左:裁判所、正面:市庁舎、右の塔:Sv.Jurija/St.George教会、右:Sv.Petra/St.Peter教会】

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【198.jpg:広場の南側:レストランやホテル。右端がホテル・ジュセッペ・タルティーニ

 快晴の港町、猛暑です。大人たちは昼のワインの後のアイスクリームを テントの日陰で物憂そうにほおばり、子供たちは浮き輪を持って海に走り 母親が後ろから追いかけ、バックパッカーたちは汗まみれのシャツに大きな荷物で この暑さにうんざりとノロノロ歩いていきます。僕たちも建物の日陰をつたって 広場の周りのレストランを探します。

 あの市庁舎裏のレストランのテラスで、僕たちは昼食にしたのです。いつもならその写真を皆さんに見せるのですが、今回は撮影できなかったのです。20mほどむこう、アルコールを飲みながらしゃべっている3人の男たち、目つきの悪そうな30歳台のラフな服装、ちらちらと僕たちを横目で見ていたのです。何か悪いたくらみを? そんなことを気にしてカメラもビデオもバックにしまいこんだのです。実はアルプスの反対端、ニースでビデオカメラを盗まれるという苦い思い出があったからです。

 が、心配しすぎ? 30分も経った頃、太って陽に焼けたおばさんが大きな荷物を持って彼らの前に立った時、改めて彼らを見直すと、3人は気の弱そうなコーラを飲んでいた若者たち。おばさんからの荷物をどこかに運んでいきました。地中海は内海で、貧しい国の若者が職や金を求めて簡単に渡ってこれるところ、そしてカモの観光客もたくさん押し寄せるところなのです。危険な場合も、楽しい場合も、頼りになるのはすべて自分の注意力だけなのです。

 そんなことで、昼食はスープ、リゾット、ビーフで、代金は2800Sit(≒1600\)のメモは残っているのですが、味は全然覚えていないのです。
●Tartiniタルティーニ(1692-1770)に関するWeb-Site
音楽家Tartiniタルティーニ【彼の生い立ちなど】
http://sound.jp【「悪魔のトリル」と「Amduciasアムドゥシアス」のエピソードが】


 市庁舎の角のインフォメーションで地図をもらい、この町で生まれた音楽家Tartiniタルティーニの像の先の、狭い路地の坂道を登り、町を見晴すあの高い塔の教会と岬に行ってみることに。
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【1b0.jpg:タルティーニ像】 【471.jpg:左=市庁舎、塔=St.George教会、右=タルティーニの家】 【1c1.jpg:高台に向かう坂道】


 パンフレットによると、この教会にはSv.Jurija(スロベニア語)/S.Giorgio(イタリア語)/Hi.Geoge(クロアチア語)/St.George(英語) と4通りの名が付いています。Jurijaユリヤは、スロベニア・アルプスJulijske-Alpe、ユリウス・カエサル(シーザ)にちなんだ名前のようですが、他はGiorgio/Geoge/Georgeジョージと読むのでしょう。それにしても一人の人間の名前が、接している国の言葉ごとにスペルも発音も違うことは、きっと色々不便な点もあったでしょうね?

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【205.jpg:Sv.Jurija聖ユリヤ/St.George聖ジョージ教会からみる南側。対岸6km先に見える岬はクロアチア】

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【222.jpg:タルティーニ広場とピラン港】

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【223.jpg:屋根瓦の色・形・古さぐあいなど、観察するほどに美しい】
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【201.jpg:Sv.Jurija聖ユリヤ
/St.George聖ジョージ教会の
鐘楼・時計台を見上げる】


 この高台から見おろすと、丸い広場、ちいさな港、赤レンガの屋根の波。海に目を転じると、北にイタリア・トリエステ方面、南にクロアチアの岬です。この直線約18kmだけが、スロベニアが海に面し、世界に接した場所なのです。(東京都が湾に面している直線距離は、約15kmですからほぼ同程度)

【●旅の絵本へ
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【2a1.jpg:洗礼堂の屋根のカーブと8角の建物は、釣鐘を思わせる】

 1344年にこの教会が建てられたとありますが、その9年前の1335年、ハプスブルク家がヴェネツィアとの戦いに勝ち、アドリア海沿岸地方を手に入れています。
(『スロヴェニア』ジョルジュ・カステラン著、千田善訳、白水社、2000.6発行、p.23)

 ハプスブルク帝国にとって、地中海に唯一面するこの地を確保できたことは嬉しかったでしょうね。そしてこの暑さと、青い・青い海ですから。
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【269.jpg:Sv.Jurija聖ユリヤ/St.George聖ジョージ教会の広場から。左12km先はイタリア、右6km先はクロアチア】

<旧東欧の最西端の岬に行ってみましょう。若い娘たちが、おおらかに胸を出して日光浴している海岸に・・・・>
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