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あらゆる道の中で私が好むのは、そこを人類が通過した歴史的な大きな道だ。 ・・・ このユリア峠の道は一年中通ることができる。それゆえ、つねにこの道が好まれるようになった。 ユリウス・カエサルよりも遙かに古く、ケルト人の神の名前をとってこう名付けられたと言われている。ケルトの人々は一番高い地点に、二つの立石を置いた。その地点からローマ時代の貨幣が見つかっても、それはケルト族のあとにローマ人たちがこの地を占領し、そこを定期的に使う交通路としたということを単に示すだけである。 中世には、十字軍への参加者や商人や巡礼者が、すべてこの道をたどった。ヴェネチアへと向かうライン地帯の人や、シュワーベン地方(*1)の人にとって、この道は大変寂しい道で、ギリシア、エジプト、キプロス、エルサレムへの、つまりオリエントへの大いなる道となっていた。 歴史家ミシュレJules Michelet(フランス:1798-1874)の記述。 『山』8.グラウビュンデンへの道 p.168〜 (大野一道 訳 藤原書店) (*1:シュワーベン地方=南独、黒い森エリア、ヘルマン・ヘッセ(1877-1962)はこのCalwカルフの町で生まれる。 |
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