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グラッパ山
【g664.jpg:モンテ・グラッパ:オーストリア側の礼拝堂と大砲・・ヘミングウェイが現れた(合成)】

Hemingway191807 Hemingway2 第一次大戦カポレットの戦い
【負傷したヘミングウェイ】【LIFEの表紙】【第一次大戦「カポレットの戦い戦場」と、旅のルート。★=ヘミングウェイ負傷の地。クリックで拡大】

Monte Grappaグラッパ山(1775m)

第一次大戦の激戦地とヘミングウェイ・・●峠DB
これからのアメリカの行方は?・・

イタリア:ヴェネト州ヴェローナ県/ヴィチェンツァ県/パドヴァ県
[北村 峠一].(Kitamura)      


●第一次大戦:カポレットの戦とヘミングウェイ・・


 グラッパ山(1775m)に向かうこの南下ルートは、まさに第一次大戦での激戦、最前線なのです。

 1914年サラエボでオーストリア・ハンガリー(君主国)皇太子が暗殺され始まった戦いは、各国を巻き込んでいきます。ドイツから「中立維持なら南チロルを提供する」と約束されたイタリア(王国)は、開戦当初は中立国だったのです。

 しかし、連合国(イギリス、フランス、ロシアなど)からは「さらにアドリア海側も提供する」とそそのかされ、1915年5月に連合国側に加わり参戦するのです。

 しかし弱いことで有名なイタリア軍は1917年10月末、オーストリア・ハンガリー軍とドイツ連合軍の猛攻で大敗。死者1万、戦傷者3万、捕虜29万、脱走者30万の計60万人以上の損害を受け、西に150kmもの敗走をしたのです。一方の独墺軍は戦死・戦傷2万3千人のみでした。『カポレットCaporettの戦い(1917.10.24-11.12)』
 イタリア軍の前線は、東側がピアヴェ川、北側がここグラッパ山まで退却し、布陣を作り直したのです。

 そのときのイタリア軍の最高司令官ルーイジ・カドルナ将軍Luigi Cadorna(1850-1928)は当然更迭されましたが、不名誉な彼にも出身地マッジョレー湖北岸ヴェルバニアの人たちは優しく、大きな霊廟を建ててありましたね。

 あのアメリカのノーベル賞作家、アーネスト・ヘミングウェイが負傷したのが、戦線が膠着していた1918.7.8。19歳でイタリア軍付赤十字要員を志願、中尉待遇で戦場に入って1ヵ月ほど、迫撃砲弾の破片で重傷を負ったのです。場所はPiaveピアヴェ川がアドリア海に流れ込む10kmほど手前の河辺でしたが、5日後にはミラノの陸軍病院に入院します。

 ここで会った看護婦との体験から1929年に『武器よさらば』が発表されたのです。彼は大戦後、この北イタリアなど周辺の戦地を幾度も取材で旅し、絶望的・愚劣な戦争情景を恋愛小説の中に織り込んだ作品に仕立てたのです。
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●Monte-Grappaへの稜線・・


 第一次大戦までオーストリアとイタリアの国境だったRoaロア村を南東に下り、FonzasoフォンザッソからFeltreフェルトレ方面に幹線道路を数km、「Monte-Grappa」の道路標識にそって細い田舎道に右折。

 その先の山道は、ショーの舞台の花道のような長い稜線が、ベネチュアの平原に張り出した地形で、その稜線の山道をうねうね、延々30kmほども南に走るのです。右手の急な谷、時折見える眺望を楽しみたいのですが、道が狭く車を停めて景色を見る余裕はほとんどありません。

グラッパへ向かう
【g655.jpg:グラッパへの稜線の道は延々と続く。西の渓谷がブレンタ川、Corlo湖など】


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●Monte Grappa グラッパ山(1775m)
  ・・イタリア兵・オーストリア=ハンガリー兵の軍慰霊地・・


グラッパ山
【v663.jpg:グラッパ山頂は濃霧がかかって】
 グラッパの山頂が近づいたのでしょうか、山の上に建物のようなものが見え始めたと同時に、霧が湧きはじめ、数m先の道路がやっと見えるだけになってしまいました。カポレットの戦いも濃霧の中の奇襲だったということなので、こんな天候だったのかもしれません。

グラッパ山
【h730.jpg:駐車場の高度標識がやっと見える】
 左にM.Grappaの表示が出てさらに数km。どこが目的地なのかも判らないような、2−3m先がやっと見えるほどのミルク状の視界に、Refuge(避難小屋)と書かれたレストランが現れ、駐車場と目的の道路標識が出てきます。

 まずは暖かい紅茶を飲みに建物の中に、そして全体像が判る絵葉書を求めたのです。
 店員に「霧で何も見えないけれど、墓地はどこにあるんですか?」と聞くと、「残念でした」という顔でその絵葉書の右下にある現在地と、目的の建物群を教えてくれます。さらにレストランの周りの壁を指差します。なるほど写真での360度の眺望は最高なのですが、「残念でした」。

モンテ・グラッパ絵葉書 グラッパ山
【第一次大戦のイタリア兵、オーストリア兵の記念墓地(絵葉書)】 【南(20)がイタリア兵1.3万人、北(16)がオーストリア=ハンガリー兵1万人以上の墓地。クリックで拡大


第一次世界大戦の本
 雨具を着こんで慰霊碑群へ坂道を登っていきます。このグラッパ山は「カポレットの戦い」で、150kmも退却し、やっと1917.11.12に軍を建て直し、陣を敷きなおした前線。それから1年間、両軍の激しい戦闘があったところ。まだ航空機も十分でなかった時代、こここを制すれば、前線の監視や指令にも有利だったはずです。

 相変わらず弱いイタリア軍は、カポレットの翌年の10月には、7日間で死者5千人、重傷者2.4万人という凄惨な戦いもあったのですが、山岳の前線はほとんど変わらず膠着していました。

グラッパ山 グラッパ山
【g668.jpg:教皇ピウス10世が1901年建造の「救済の聖母の小礼拝堂」】 【g663.jpg:オーストリア側の礼拝堂と大砲】

グラッパ山
【g667.jpg:教皇ピウス10世が1901年建造の「救済の聖母の小礼拝堂」内部】


●大赤字アメリカが、この大戦で膨大な利益を得たことから・・


 アメリカが参戦支援した連合国側の戦力に、1918年10月27日オーストリア・ハンガリーは降伏したのです。
 が、なんと<休戦発効後>11月4日、イタリア軍はオーストリア軍を攻撃し30万の捕虜を奪還するということすらもし、さらに千年以上の夢だったドロミテなどのアルプスの南「南チロル」を獲得したのです。

 アメリカはこの戦いでイギリス、フランス、ロシア、日本など連合国に、武器・食料など大量の物資を供給し続け、膨大な利益を得ます。これにより累積していた大赤字を一掃、債務国から世界最大の債権国へと成り上がります。さらに30年後の第二次大戦でも似たような手法で利益を得たことで、現在に至る世界一裕福な国になったのです。

 過去に甘い汁を吸ったアメリカは。その浪費生活に慣れてしまったのです。そして現在のように赤字転落、世界大恐慌を引き起こしたのです。これからの世界の行方に、大きな争いの引き金とならなければ良いのですが。

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 山頂はさらに完全な濃霧、絵葉書にそって建物を巡りますが、すれ違った観光客は3-4人だけ。臆病な妻の「道に迷わないように、同じ道を戻ろう」の意見に同意し、真っ暗な雲の中駐車場に戻ったのです。

 山をかなり下ったところから霧が薄れていき、ベネチュアの平原が見晴らせるようになりました。ブレンタ川や、遠くにはピアヴェ川も確認できます。
グラッパ山 グラッパ山
【v690.jpg:大戦の説明プレート】 【v693.jpg:霧が薄れ、ベネチュアの平原が見下ろせる】


【グラッパ上空からのベネチュア平野の眺め(Google-Earth) width=483 height=252】
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●バッサーノ・デル・グラッパの街へ・・


 今日の宿はここを下ったブレンタ川の町バッサーノ・デル・グラッパBassano del Grappa付近にしようと思っています。

 ここ海抜1775mから、一気に129mの町へのかなり長い下り。途中3台ほどの牛運搬車とすれ違います。3階状態に造られた荷台には牛がびっしりと詰め込まれていました。そろそろ山に牛を放牧する時期なのですが、最近では「牛追い」などという悠長な移動はしないようです。

<関連するサイト>

<近隣のサイト>
http://www.worldwar1.com/【Monte Grappa:Italy's Thermopylae:第一次大戦史。Google翻訳
http://www.comunesofitaly.org/【MonteGrappaの写真】
http://www.kaiserjaeger.com/【第一次大戦当時のオーストリア・ハンガリー兵の写真】
http://ja.wikipedia.org/【wikipedia】

<関連書籍・地図>

ヨーロッパアルプスのハイキング地図、ガイド洋書  山渓など:日本語編

<関連HOTELなど>

【Hotel-Club:イタリアのホテル】  hotel 海外ホテル予約

<ヨーロッパ・旅・・・>



●イタリア ワイン検索

<バッサーノ・デル・グラッパの街に・・>
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