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Mikulovミクロフ
【r565.jpg:ミクロフMikulovロレタLoreta教会の黒マリア】

ミクロフMikulov:黒マリアBlack Madonna

実物を見たのは初めて。ここはチェコのマリアツェルとも呼ばれているほどの巡礼教会。マグダラのマリア??

チェコ:モラビア地方】 [北村 峠一].(Kitamura)      


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●Mikulovミクロフ


 オーストリーからの入国時に、前方に見えたミクロフの町に立寄ってみます。世界遺産のレドニツェLednice・ヴァルチツェValtice城の西7kmほどの場所にあるのですが、あまり期待せずに訪れた町だったのです。確かに大きな城、教会、そして東の丘の上には教会と鐘楼が並んでおり、ちょっと気になってはいたのですが。

 僕たちはパヴロフ村のある北東側から、ちょっとした丘陵を昇ってミクロフの町に入ったのですが、突然前方に開け・見下ろした赤い屋根群、塔の構図は素晴らしく、思わず車を停めて撮影するほどでした。

 旧市街中心に向かう道はまさにシーズンに向けての補修工事中。タイミングよく工事車両の間に駐車し広場に向かいます。


チェコ入国
【2137.jpg:南から:入国時に遠方に見えた町に北東側(中央向こう側)から入る。右手の聖なる丘に聖セバスチャン巡礼者教会と鐘楼が見える】

Mikulovミクロフ
【s724.jpg:砦(Kozi Hradek)】
Mikulovミクロフ

【r557.jpg:Mikulov St. John's Church(聖ヴァーツラフ?)教会の塔】
Mikulovミクロフ
【s714.jpg:東側から町に入る。教会の塔が中心広場に、城が高くそびえる】

 右手に砦、正面にSt. John's Church教会の塔を見上げながら、中央広場へ入って行きます。
 そこには黒地に白の見事なズグラフィート壁画の家や、厳かな感じのHrobka Ditrichstejinu、ピンク系、ブルー系などの建物が囲んでいます。

 そしてたくさんの小学生の郊外学習の生徒たち。そのうちに大型バスが到着したのでしょうか、田舎のおばさん、おじさん風のグループも引率者に率いられて入ってきました。
Mikulovミクロフ
【r554e.jpg:中心広場】

Mikulovミクロフ Mikulovミクロフ Mikulovミクロフ
【s720.jpg:Hrobka Ditrichstejinu】 【s719.jpg:黒地に白の壁画は見事に浮き上がるRenaissance house】 【s716.jpg: 】


●ミクロフMikulovの黒マリアBlack Madonna


 紫色の花が順路にそって見事に咲いていることが気に入って、いつの間にか入ったLoretaロレタ教会。そこには聖母マリアとイエスが祭られ、その一角の祭壇、高い位置に僕たちを見下ろしていたのが「黒マリア」でした。Ave-Maria!と刺繍された薄いレースの向こうに、今まで実物を見たことがない「黒いマリア」が居たのです。

 ストロボなしで3枚撮った写真は暗くピンボケ、残念ながら拡大写真には耐えられませんが、明らかに黒い聖母子の像です。この「黒マリア」はフランスの南西部にはかなり点在するといいますが、僕たちの旅先のアルプスエリアでは見ることは無いだろうと思っていた像に、チェコで会えたのです。

Mikulovミクロフ Mikulovミクロフ Mikulovミクロフ
【r558.jpg:Loreta教会に入る通路に咲く花が美しい】 【r562/r560.jpg:教会内両側にはマリアやイエスも置かれていましたが】

 この像の由来などをネットなどで調べてみると、
「この黒マリアの本物は、イスラエルのナザレ(イエスが幼・青年時代を過ごした地)から、イタリアのLoreto Anconaロレト・アンコナに送られ、1294年発見された。1624年頃モラビア州の総督がその黒マリアのレプリカ(精密複製)を持ち帰り、このミクロフのロレタ教会に祭った。1784年以降、毎年9月の第一日曜日の行事で、黒マドンナが聖なる丘(東にある丘)に巡礼をする」とのことでした。

 さらにここはチェコのマリアツェルとも呼ばれており、東欧各地からの巡礼ツアーのコースにもなっているとのことでした。確かに何台かのバスが観光客を運んできましたし、ロシア語のような観光ポスターもあった記憶もあります。

Mikulovミクロフの「黒マリア」関係サイト


Loretoの黒マリア
【イタリア:ロレトの黒マリア】
http://travel.webshots.com/【Black Madonna Mikulovの写真】
http://www.cartage.org.lb/【モラビア州総督が、1624年頃、イタリアLoreto=東海岸=から黒マリアのレプリカ(精密複製)持ち帰った】
http://campus.udayton.edu/【イタリアのLoreto Anconaロレト・アンコナの黒マリアは1294年発見された。ナザレからイタリアに送られたものと言われている 】
ttp://www.interfaithmarianpilgrimages.com/【イタリア・ロレトの黒マリアの写真】→

http://www.mikulov.cz/【聖なる丘には毎年9月第一日曜、MikulovのLoreta教会から黒マリア運ばれてくる】
http://www.geocaching.com/【ミクロフの町にそびえる聖者の丘は、白い岩と山腹の森緑で覆われており、聖セバスチャンSebestianの巡礼者教会と鐘楼がピークに建っている。1623年の黒死病流行の後に聖者の丘と名づけられられ、1784年以降毎年9月第一日曜日、黒マドンナがそこを巡礼をする行事がある】

i:黒マリア情報
Mikulovミクロフ
【r565p.jpg:Loretaロレト教会の中心にある「Ave-Maria」は黒い母子像】

 「黒マリア」に関する情報を別ページにまとめはじめましたが、膨大でかなり時間のかかることです。それに、ほとんどが「黒マリアの母子像」なのですが、なんと「サラSara」という名の「黒い色の乙女の一人像」なども見つかるのです・・・さてこの黒いマリアはとその子供は誰なのでしょう?

 今、「ダヴィンチコード」が話題になっていますが、私もかなり興味を持っています。
 想像をさらに膨らませると・・・

「マグダラのマリアがフランス・マルセイユに逃れ」、「イエスとの子サラの誕生」、「ガリア(ケルト人)の地とローマ帝国各地への布教」、「異端迫害・悪魔・魔女裁判」、「西ローマの黒マリア像、東ローマの黒マリア・イコン」、「聖母マリア教会」、「サンチャゴ・デ・コンポステーラへの巡礼」など・・
 ローマ・バチカンの迫害に耐え、2000年の時間をつないだ、一連のことのように思えてくるのですが・・ちょっと短絡的でしょうね?

<関連するサイト>

 ○http://www.mikulov.cz/【mikulovガイド】
 ○http://www.austerlitz.org/【Mikulovでの2005 IIイベント写真】
 ☆ペスト(黒死病/black death,peste noire)【1347年9月シチリア→イタリア→1348年アルプスを越えドイツとフランスへ-1350年一応終結。15世紀初頭までに全ヨーロッパ人口の1/4〜1/3の人が亡くなった。その後も250〜300年周期で世界を襲い1910年代の大流行を最後終わった】
 ☆ミクロフ(Mikulov)【ユウさん:チェコ旅行記
チェコウェブリング

<関連書籍・地図>

 本:『黒マリアの謎』田中 仁彦 岩波書店
 本:『隠された聖地―マグダラのマリアの生地を巡る謎を解く』ヘンリー リンカーン著 河出書房新社
 本:『イエスが愛した聖女 マグダラのマリア 』マービン マイヤー著 日経ナショナル ジオグラフィック社
 本:『ダ・ヴィンチの暗号を解読する―図説ダ・ヴィンチ・コード 』中見 利男(著)日本文芸社

<関連HOTELなど>

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