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Lovrenc na Pohorju ロヴレンツェ・ナ・ポホリュ村-2
一晩のうちに、僕たちはこの付近の皆さん全員と、顔見知りになってしまった?

武器はスロベニア語での挨拶メモ。でも汗で、午前中のみで消えてしまいましたが。
[北村 峠一]      


<2003.6.11(水)>
 朝7時半からと頼んだ食事の前に、ちょっと近くを散歩します。朝日に光る緑が本当にきれいです。

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【303.jpg:村の方面は丘陵地。そこに見える建物は日本によく似ている。小さな小屋は農機具置き場?あまり雪は積もらない?】

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Hvala フヴァーラ ありがとう
Dobro-dan ドーブル ダン こんにちは
Dobro-Jutro ドブロ ユートロ おはようございます
Nasvidenje ナスヴィーデニュ さようなら



【370.jpg:スロベニア語の基本の挨拶・・・が、汗で】
 今朝、旅行ガイドにあった会話集からいくつかの挨拶のことばを、左手に「あんちょこ」として書いてきました。

 昨日も聞こえていたのですが、チェーンソーのエンジンの音が響いています。鼻ひげが白いので、多分60歳は越えているように見えるおじさんが、大きな木を1mほどに切り、斧で割って積み上げています。腕っぷしの太さは見事です。

「ドブロ ユートロ:おはようございます」と挨拶し、ビデオで少し観察させてもらいます。半分から1/4に割った薪でも10kg以上はあるでしょう。まだ6月なのに冬に向かって準備をはじめているのです。
「フヴァーラ:ありがとう」「ナスヴィーデニュ:さようなら」こんな不思議な発音の言葉に、引き締まったおじさんの口元も、ちょっとニヤッとゆがみます。
「Nasvidenje」。

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【322.jpg:まだ6月なのに、冬に向かっての準備。こんなにも太い木を、チェーンソーと斧で】
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【326.jpg:ひとつひとつがこんなにも大きな薪。腕っぷしも見事です】

  ★10年後の2013.6.13、相変わらず薪を割り・・お元気だった

 林に囲まれた大きな建物、その道路に面した壁に「Gasthouseガストフハウス」と消えかけた跡があります。多分以前、宿もやっていたのでしょう。この国がユーゴスラヴィアから独立したのが1991年、もう12年前。あの消えかけた字もその頃のものかもしれません。ユーゴの中でも安全で豊かだったこの地域、その当時から観光で生計を立てていたのが、独立してボスニアやセルビアの人たちが来なくなり、きびしい状況になったことでしょう。2004年5月にはEUに加盟が決まっていますから、きっとたくさんの人たちがこのスロベニアの、このヨーロッパ・アルプスの東端Pohorjeポホリエに異文化を楽しみに来るでしょう。

 庭先で野菜を摘みに出てきたおばあさんや、隠居で退屈そうなおじいさんたちと「朝のあいさつ」をし、「日本から」「ミュンヘンから車で」「ペンション・ユリに」と単語の会話を交わします、多分10人以上の人たちと。みなさん本当にフレンドリーです。昨日ペンションで出会った人も含めると20人以上?

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【347.jpg:農家の建物素朴です。庭先の洗濯かけ、庭先の雰囲気、日本に似ています】
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【356.jpg:林に囲まれた大きな建物、Gasthouseと書いた跡があったので以前は宿もやっていたのでは?】

 朝食もまた、やさしさと素朴さ、山・野の幸が山盛りです。それだけで十分と思ったら、追加で目玉焼きが2つもついてきました。ヨーロッパの朝食で目玉焼きにお目にかかるのは初めて、まるで日本の民宿?おなかが一杯になって、もうこれで夕方まで食事しなくても十分です。

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【362.jpg:朝食はチーズ・サラミ・自宅製のジャム・山盛りのパン】 【375.jpg:それだけでと十分と思ったら、卵までついて】


 ペンションの夫婦に「また来ますね」と別れ、村のセンターまで戻る時、道行く人が皆、車内の僕たちに手を振ってくれます。昨夕の到着、ペンションでの雑談、今朝の散歩などで、この付近一帯のたくさんの人には本当に親切にしていただきました。ありがとうございます。遠く離れた山の中の村、本気でまた遊びに来ますね。

 この村の雰囲気どこか日本に似ていると、昨日の道々そう思っていたのです。謎が解けました、生垣があり、フェンスがあり、屋根が切り妻で、ちょっと日本の田舎に行くとこんな風景見ませんか?時々洗濯物かけが庭に立っていたりして。

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【386.jpg:道行く人がみんな手を振ってくれる。昨夕の到着・ペンションでの雑談から、今朝の散歩などで、この付近のたくさんの人と顔見知りになった】
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【381.jpg:落ち着いたいい村だ。生垣・フェンスなどで囲むので、日本の風景とよく似ています】

 昨日気持ちにゆとりが無く見えなかった、ねぎたまの形をした教会、しゃれた建物、リンゴやクルミのような木立ちが道の両側に続きます。村の中心の交差点で左折。観光協会らしい文字も見え、大きな教会もいくつか見たので、歴史のある村なのでしょう。Webで調べると11世紀頃からの教会もあるようです。ぶどう園、トルコの襲撃、ハプスブルク、第一次・第二次大戦、独立、たくさんの歴史がそこには書かれていました。

 最初この村で道を聞いたインテリ風の老夫婦も、こんないい雰囲気の村でゆったり生活し、時々あのペンションに食事やお茶に行くのでしょう。まるで違った風合いを持つ人たちがミックスして生活しているこの村、是非またゆっくり来たいものです。

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【3a2.jpg:ねぎたまのpodruznicne cerkve教会、しゃれた家、木立が続く道を行く若い娘】
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【3c4.jpg:村の中心の交差点、石造りの建物。ツーリズモ(観光協会)の文字が一瞬見えたので、けっこう大きな村なのだろう】
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【3c6/3d4.jpg:大きな教会が林の中に。墓地の中にも礼拝堂が。向かっている南のなだらかな山が峠の方向。】 【3e0.jpg:Lovrenc na Pohorjuの看板。ここが村の境界だろう】

 この先、未舗装の道路が頂上付近まで続き、新車のプジョーは真っ白に、ほこりだらけになりました。しかし標高差約1000mのこの道、整備もよく道幅があるので険しくありません。周囲の山には針葉樹の立派な木の緑が一杯です。林業で生きていく村なのでしょう。

スロベニアの地方名 ●Lovrenc na Pohorju村とその周辺関連のWeb情報など

・この村のあるKoroskaコロシュカ地方(英語名Carinthia、ドイツ語名Karnten)は、第一次大戦(-1918年)までオーストリアのケルンテン州(クラーゲンフルト・フィラッハ地方)の一部だった。
 (隣接のMariborのあるStajerskaシュタユルスカは、Styria/Steiermarkとオーストリア・シュタイヤーマルク州から分離)
http://www.lovrenc.si/zgodovina/ 【村の所在、写真、歴史など】
http://zeljko-heimer-fame.from.hr/descr/si-obc09.html#si-lv-t 【村の紋章・旗・いわれなど:】
   
【flag2.gif:セイヨウバクシン木と草木山】  【flag1.gif:青い雲から出る腕、百合形の赤のカフス・十字架、鉄格子、聖ローレンス、盾形の紋章、花の装飾】
http://maribor.uni-mb.si/vodnik/angles/daizlet2.htm 【マリボルからDrava川右岸を、Lovrenc na Pohorju村まで散策。Pekrcanワインの生産地、ぶどう畑、トルコ襲撃の歴史、Lovrencには11世紀に聖ポールが僧院を構築】
http://www.lovrenc.si/zupnija/ 【Zupnija Sv. Lovrenc na Pohorjuの教会。歴史】

<いただいたバラは水コップに挿し、車内に飾ってあります。美しい花と一緒に越えたスロベニア第二の峠は、スキーのリゾート地でした・・・・>
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