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Annecyアヌシー(2)
 旅の最後の・・・美しい街・・・実にゆっくりと時間が流れていきます・・・【街のMAP

 レンタカーを返却し、荷物を宿に運んで・・・これからもう何もすることはありません。 ゆっくり・・・のんびり・・・でもまだ30分しか経っていないんです。・・・リゾッチの気持ちって、まだ理解できません。



(12:40頃〜)
 ●3:宿に荷物を移動し、街の散策に出たのです。4年前のフランスアルプス縦断の時、昼1時間ほどしか居なかったこの町の印象は、すごく強いものでした。絵本にもその気持ちを書いて・・・。今回の旅のゴールをアヌシーにし、ゆっくりとこの街を回ろうと思っていたのです。

(13:00頃〜)
 ●7:Perriereペリエール橋から、Le-Thiouティウ運河の中にあるPalais de l'lleルリ宮殿、ゆっくりした川の流れ、白鳥、カラフルな家並みなどを観察して・・・

(13:30頃〜)
 前回と同じように、ひんやりした空気を感じるSt.Francoisサン・フランソワ教会に立ち寄って・・・


【2a6.jpg:アヌシーの一番の風景はこのPerriereペリエール橋から。川の中、正面はPalais de l'lleルリ宮殿=牢獄・裁判所。Le-Thiouティウ運河に沿って花に飾られた小道と古い石造りの古い家々が続く】


【2d6.jpg:Perriereペリエール橋からアヌシー湖方面を見る。左はSt.Francois教会。】

 
【305/308.jpg:St.Francois教会の内部。前回の旅でもこの教会に】


(14:20頃〜)
 ●6:湖に面したLes Jardins de l'Europeヨーロッパ庭園に。陽射しが暑いので、日陰のベンチを見つけ、そこに陣取ります。やはり皆さんもこの暑さにはちょっと閉口している風です。・・・目の前の小さな遊覧船の看板を見るお客さんも、この暑さだと湖の上も照り返しが・・・どこか日陰の涼しい店に行こうか・・・悩んでいます。手持ち無沙汰な若者の客引き、なかなかお客が申し込まないし、自分達も暑さにうんざり。あの数百人乗れる大型船はエアコン付き、食事つき、ちょっぴり価格が高いけれどほぼ満席です。「安いよ、安いよ」「あと少しで船が出るよ」・・・僕らのところにも「乗らないかい?」と声をかけてきます・・・残念ながら。

(15:00頃)
 出発時間が来て、7人ほどしかお客が集まりませんが出発します。船が100mほども岸を離れた頃、3人のお客さんがカンバンを見て寄ってきました。と、若者は「お客さんのためなら」と交渉成立。無線で船を戻します。ついでに僕たちにも「お客さんもどう?」とまた売り込みにきましたが・・・。こんな融通が利くところが小さな船のいいところです。(もしかするとこれも作戦のうちかもしれませんね)


【332.jpg:アヌシー湖に突き出したLes Jardins de l'Europeヨーロッパ庭園の日陰で】


【348.jpg:小さな遊覧船の客引きの若者たち。きっとバイトなのでしょう、お客さんの数で報酬も増えていく仕組みでしょうか。なかなかお客が集まりません。僕たちのところにも、売り込みにきますが】


【353.jpg:競争相手は、こんなに豪華な、食事つき、エアコン付きの遊覧船。若者たちの小さな遊覧船にあまり分はありません】


【364.jpg:定刻で遊覧船が出発します。船が岸を離れた後にお客さんが。と、船長と無線で連絡し船を戻します】



(15:20頃〜)
 こんなに粘ったつもりなのに、まだ夕食までは時間が余って・・・お世話になったパリのYさんに、無事着いた旨のお礼の電話をし・・・足の疲れも取れたので、また町の散策に出かけます。あの隣のSt.Mauriceサン・モーリス教会に行ってみましょう。すばらしい色彩のステンドグラスです。十字架のキリストのシルエットが印象的です。


【366.jpg:左のSt.Maurice教会に向かう。暑いので、みな肌を一杯出していますが焼けますよ・・・】

   
【393.jpg:St.Maurice教会のステンドグラス。こんなにも美しかったんですね、この色ガラス越しの絵って・・・】 【383.jpg:街の風景】

 
【3d2.jpg:湖の向こうの岩山がこの町を引き立てる】


(15:40頃〜)
 またティウ運河に沿った北側の小さな路を・・・ルリ宮殿の鉄格子の窓などをのんびり見て・・・こんなところの牢獄も良いよなーと、おかしなことを考え・・・


【3d1.jpg:Palais de l'lleルリ宮殿と、Le-Thiouティウ運河を北側から見る。】

●Jean-Jeacques Rousseau ジャン・ジャック・ルソー

・1712年6月28日ジュネーブ生まれ〜『新エロイーズ』、『エミール』、『社会契約論』などの著作。文学、教育、哲学、社会思想に関する思想家〜1778年7月2日(66歳)パリから30マイルのエルムノンヴィルで死去。
・彼は何度もローヌ=アルプ地方に滞在した。ChamberyシャンベリーChartreuseシャルトルーズ、ピラ山の麓、AnnecyアヌシーLyonリヨンGrenobleグルノーブル、Valence、Le Pilat、Bourgoin-Jallieu、など。イタリアはTurinトリノも

ルソーとヴァランス夫人 ◎『告白』第2巻に出てくる、ルソーとアヌシー

・1728年3月21日(15歳):アヌシーでMrs. de Warensヴァランス夫人(28歳)と「魂の共感」の出会い。・・・孤児になり放浪の後、サヴォワ領Confignonコンフィニョン(ジュネーヴ西10km)のポンヴェール司祭の紹介状で、アヌシーのヴァランス夫人の元へ。
 ・・・最初の出会い、小川と家の間にある教会へ通じる狭い小路、春めいたいきいきとした雰囲気、そして教会の門の前で、「奥様・・」という彼の声にふり返った女性・・・
 早熟な15歳はヴァランス夫人に恋心を持つ。

・1728年3月24日(15歳):ヴァランス夫人に出会った3日後、夫人の紹介でトリノの修道院(スピリト・サント改宗者救済院)に向かう(プロテスタントからカトリックに改宗)。
・・・眺める景色の壮大さ、変化、まことの美しさが、こうした魅力をもっともなものと思わせるのだ。・・・こんな若い身でイタリアに行く、ほうぼうの国を歩き、あのハンニバルの通った路を山越えしていくことは、年に似合わぬ名誉という気がした。・・・
 約20日かけ、多分モン・スニ峠を越えて、トリノに到着する。

・1729年6月(17歳):アヌシーに戻りヴァランス夫人邸に・・・「プチ(坊や)」「ママン」。8月司祭になろうとラザリストの神学校に入るが戻され、10月ル・メートルの弟子(彼が指揮する教会の聖歌隊寄宿生)になり音楽を学ぶ。

・1730年4月(18歳):ル・メートルとリヨンに行くが、彼と別れアヌシーに戻る。が、ヴァランス夫人不在。7月女中のアンヌ・マリ・メルスレの付き添いで、フリーブルに向かう。

●参考の本、URL:
 本:ルソー著 桑原武夫訳『告白』筑摩世界文学大系22:筑摩書房p29-
 本:Jean-Guehenno著 宮ケ谷訳『ルソー全集』別巻1:白水社p31-
 ○ルソー研究への扉【生涯】
 ○http://www.rhonealpes.fr/639-.htm【ルソーとローヌ=アルプ】

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 アヌシーは、サヴォワ家のアメーデオAmedeo8世(1383-1451:在位1416-1440年)がジュネーブ伯から買い取った町。ルソーが来た頃は、16世紀後半の宗教改革がヨーロッパ各地に広がり、ジュネーブなどスイスのカトリック系の領主・聖職者たちがこの街に避難・集まりだした時代である。ここはかつてサヴォイア公国の首都(1434-1444年)であった。


(16:00頃〜)
 ジャン・ジャック・ルソーもこのあたりを歩いたはず・・・と、St.Pierreサン・ピエール教会あたりをうろうろし・・・ちょっと教会のイスで「ウトッ」とします。・・・・


【3d8.jpg:Rue-J.J.Rousseauジャン・ジャック・ルソー通りとSt.Pierre教会。この付近で16歳のジャンジャックルソーが、ド・ヴァランス夫人に出会った。】


【3e7.jpg:前庭の亀・ライオンの碑】



<(17:50頃〜)あの橋のたもとの、眺めのいいレストランのテラスに陣取ります・・・でもディナータイム(20:00)まで待たないと、食事にありつけません・・・・・>
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