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●Jean-Jeacques Rousseau ジャン・ジャック・ルソー・1712年6月28日ジュネーブ生まれ〜『新エロイーズ』、『エミール』、『社会契約論』などの著作。文学、教育、哲学、社会思想に関する思想家〜1778年7月2日(66歳)パリから30マイルのエルムノンヴィルで死去。・彼は何度もローヌ=アルプ地方に滞在した。Chamberyシャンベリー、Chartreuseシャルトルーズ、ピラ山の麓、Annecyアヌシー、Lyonリヨン、Grenobleグルノーブル、Valence、Le Pilat、Bourgoin-Jallieu、など。イタリアはTurinトリノも ◎『告白』第2巻に出てくる、ルソーとアヌシー ・1728年3月21日(15歳):アヌシーでMrs. de Warensヴァランス夫人(28歳)と「魂の共感」の出会い。・・・孤児になり放浪の後、サヴォワ領Confignonコンフィニョン(ジュネーヴ西10km)のポンヴェール司祭の紹介状で、アヌシーのヴァランス夫人の元へ。 ・・・最初の出会い、小川と家の間にある教会へ通じる狭い小路、春めいたいきいきとした雰囲気、そして教会の門の前で、「奥様・・」という彼の声にふり返った女性・・・ 早熟な15歳はヴァランス夫人に恋心を持つ。 ・1728年3月24日(15歳):ヴァランス夫人に出会った3日後、夫人の紹介でトリノの修道院(スピリト・サント改宗者救済院)に向かう(プロテスタントからカトリックに改宗)。 ・・・眺める景色の壮大さ、変化、まことの美しさが、こうした魅力をもっともなものと思わせるのだ。・・・こんな若い身でイタリアに行く、ほうぼうの国を歩き、あのハンニバルの通った路を山越えしていくことは、年に似合わぬ名誉という気がした。・・・ 約20日かけ、多分モン・スニ峠を越えて、トリノに到着する。 ・1729年6月(17歳):アヌシーに戻りヴァランス夫人邸に・・・「プチ(坊や)」「ママン」。8月司祭になろうとラザリストの神学校に入るが戻され、10月ル・メートルの弟子(彼が指揮する教会の聖歌隊寄宿生)になり音楽を学ぶ。 ・1730年4月(18歳):ル・メートルとリヨンに行くが、彼と別れアヌシーに戻る。が、ヴァランス夫人不在。7月女中のアンヌ・マリ・メルスレの付き添いで、フリーブルに向かう。 ●参考の本、URL: 本:ルソー著 桑原武夫訳『告白』筑摩世界文学大系22:筑摩書房p29- 本:Jean-Guehenno著 宮ケ谷訳『ルソー全集』別巻1:白水社p31- ○ルソー研究への扉【生涯】 ○http://www.rhonealpes.fr/639-.htm【ルソーとローヌ=アルプ】 −−−−−−−−−−−− アヌシーは、サヴォワ家のアメーデオAmedeo8世(1383-1451:在位1416-1440年)がジュネーブ伯から買い取った町。ルソーが来た頃は、16世紀後半の宗教改革がヨーロッパ各地に広がり、ジュネーブなどスイスのカトリック系の領主・聖職者たちがこの街に避難・集まりだした時代である。ここはかつてサヴォイア公国の首都(1434-1444年)であった。 |
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