 【r450.jpg:クロスターノイブルクHotel Andreaの美人若女将と可愛い末っ子】
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クロスターノイブルク Klosterneubugとその周辺(1)
ウィーン付近の宿:ここを皆さんに教えるのは、ちょっと・・
トルコはEUに加盟できないと思います・・
●お勧めのアパートメント・ホテル
友人Yさんの紹介で3泊したこのアパートメント・ホテル、皆さんに紹介するのはちょっともったいない気がしているのです。なぜかと言えば、便利で 広くて きれいで 安い、すべてそろっている素晴らしい宿「HOTEL Appartementhaus Andrea」(☆3)だからです。
すぐ近くに自宅のあるYさん、1歳のAちゃんと一緒に近郊を回るときのベース宿として予約してもらったのですが、まず右の地図、近隣の駅まで約500m、ウィーンの中心まで10kmほどと便利な場所です。左が部屋の間取り、全体で約100u、2つの寝室、ダイニングキッチン、バス、トイレ。内庭にも面しているので緑も楽しめ、旅先の宿としては実にゆったり出来ます。

【アパートの間取り:クリックで拡大】
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【クロスターノイブルクとウィーン】
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インテリアも是非見てください。入口の飾り棚、絵画や彫刻、寝室の調度品、DKには炊事用品がすべてそろい、第2寝室まであるのです。妻いわく「我が家より数段いい」
これで部屋代が58eur(約8.4千円)/2人1泊ですから都会の宿としては超格安です。朝食を注文すれば6eurですが、近くのスーパーで購入しましたから3泊で2.5万円。最近の円安(約150〜160円/eur)、年金生活の僕たちにとっては本当に嬉しい宿で、お勧め度は
です。

【r404e.jpg:HOTEL Appartementhaus Andrea内部:(左から)部屋の踊り間、寝室、DK、第2寝室。調度品、インテリアなどぜいたく】

【ホテルの入口】
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【HPのご家族】
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このアパートホテルは、Jager & Schafferさんファミリーの経営で、ホームページに写っている美人の娘さんも、もう3人もお子さんがいる若女将。英語堪能でYさんとも友人、かわいい末息子との写真、ホテル紹介を我がHPにすることにも喜んで了解貰いました。ご両親もまだ若く、内庭で花に水やりされたり、泊り客と話をしているフレンドリーな姿を朝晩見かけました。
難点を二つ、それは宿が見つけにくいこと、あまり商売っ気がないのでしょう。アドレスで20mほどの範囲にはすぐ到着できたのですが、どこがホテルなのか判らないのです。角のバーで聞きますが、2軒先だとのこと。しかしホテルらしい建物はないのです。ぐるっとあたりを一周し、通行人にも聞き、もっと先と言われ、行ったり来たり。
皆さんは上のホテル入口の写真を目安に探してください。そしてもう一点は、お客専用の駐車場がないため路上に停めることになることです。一方通行の道の両側にびっちり駐車してある車、空きスペースをいち早く見つけ、左ハンドルの車を幅寄せ駐車するのも旅の楽しみでした。
【r304.jpg:クロスターノイブルク修道院】
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この宿をベースに回ったいくつかの場所を紹介しましょう。
●クロスターノイブルクKlosterneubug修道院
宿から歩いて10分ほどにあるこの修道院には、伝説のような長い歴史があるのです。フランク王国のカール大帝(742-814)が西ヨーロッパのほぼ全域にわたる大国家を築いたその東の端。継承した神聖ローマ帝国は976年、異民族・異教徒への防壁としてバーベンベルク家をこの地の辺境伯とします。
そのレオポルト3世(1075-1136)が2番目の妻アグネスと1106年結婚のとき、花嫁のベールが風で飛び9年後に発見されたのがこの場所。彼の夢枕に「聖地にせよ」とのお告げがあったことから修道院が建てられたのです。
【r288.jpg:聖レオポルト3世Leopold III der Heilige】
先週紹介した、第3次十字軍でイングランド王リチャード1世に名誉を汚され、彼をデュルンシュタイン城に幽閉したレオポルト5世(1157-1194)は2代後のオーストリア伯。またハプスブルク家は、1273年のルドルフ1世からなので、この修道院の建造はその160年ほども前のことです。
ところで皆さんの結婚の時のベールは、今どうなっていますか? 我が家のベールを飾ったアイビーは、庭のあちこちにはびこり、手入れが大変です。
 【r277e.jpg:修道院の教会は、壁画・天井ともにすごい装飾】
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【r274e.jpg:修道院は博物館になっている】

【r283e.jpg:博物館入口を外から】

【r285e.jpg:修道院・博物館内部:ドーム天井を支える柱の大きな素晴らしい彫刻】

【カーレンベルクの丘】
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●カーレンベルクKahlenbergの丘
クロスターノイブルクの南4kmにあるカーレンベルクKahlenbergの丘は、「ウィーンの森」の一角にあります。
オスマン・トルコは1529年9月、25万もの大軍でウィーンを攻撃してきましたが、堅牢な城塞と、1万6千人の兵が3週間の戦いを守り抜いたのです。2回目の襲撃は1683年7月、やはり25万の軍に包囲されますが、陥落寸前の9月12日、救援に駆けつけたポーランド王ソビエスキの軍がこの丘から駆け下り急襲、トルコ軍を打ち破ったのです。
ローマ帝国崩壊後、西はフランク帝国〜神聖ローマ帝国=ハプスブルク帝国、東は東ローマ帝国に分離しましたが、常に敵となったのがイスラム帝国。そのトルコに対する恐怖は、東の最前線であるハプスブルク・オーストリアには強く残っているのです。
現在、トルコはEUヨーロッパ連合への加盟を強く働きかけています。しかし西側の国の人々の血には、トルコ侵略の思い出が引き継がれていますから、たとえトルコ兵が持ってきたコーヒーはおいしくても、加盟が実現することは多分無理だろうと私は思うのですが。

【hv842.jpg:カーレンベルグKahlenbergの丘の展望台から見下ろすウィーン市内。左にドナウ川、新ドナウ川の2列が見える】

【hv823.jpg:画面をズームしてみると、左下の金色の塔は、ごみ焼却場の塔(The heating station in Vienna designed by Hundert Wasser)。そのすぐ右にシュテファン寺院とベルヴェデーレ宮殿が。右のほうにヴォティーフ教会(Votivkirche)2本の塔が見える】
●ごみ焼却場、シュテファン寺院、ベルヴェデーレ宮殿、ヴォティーフ教会の展望について修正・補足します

【hv856.jpg:シェーンブルン宮殿のグロリエッテ】
<続いてクロスタノイベルクの市内、ワイン居酒屋:ホイリゲ、ドナウ川のグレイフェンステインなど・・・>