メラーノmerano オペラ留学の思い出 by大海=(情報提供)
●<<<-date = 1999/12/21
このページは、1985年頃メラーノ、ヴイーンにオペラ留学された大海さんから寄せられた情報です。
内容についての問い合わせは、大海yanchabooya@email.msn.comさん直接か、kitamuraまで。
また、大海さんのHomepageは、http://www.bigfoot.com/~big-sea/。
当時の写真も、近日掲載を予定しているそうです
●INDEX----
(1)14年前にwienとmeranoにオペラ留学
(2)なつかしくてホストファミリーと連絡取った
(3)旅のスケッチ紹介
(4)オペラ劇場と当時の日本人観
●(1)
はじめまして、私は14年前(20歳の時)にwienとmeranoにオペラ留学していた者です。
当時日本人は私以外居りませんで心細い思いを致しておりました。
最近では旅行雑誌等で注目されているようですが・・・。
たまたまヴィーンの音大で一緒だったヴァイオリンの父親がmeranoのオペラハウス「teatro PUCCINI」で働いており、勉強することになったのです。
Kitamuraさんのホームページを読んでいて当時の景色と全く変わらないsudtirolの山々を思い出しました。
あの時お世話になった家族の皆さんのことが思い出されて、すぐ連絡を取ったところです。
自分が行けない現状の中、こうして思い出の土地を歩いている人がいることに喜びを感じることができ、涙があふれてきました。
すばらしい出会いがありますよう心よりご祈念申し上げます。 11/7
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【Res: みて、mail 頂き、ありがとうございます】
大海さん、こんにちは kitamuraです。HP見て、mail頂き、ありがとうございます
> ・・14年前にwienとmeranoにオペラ留学・・
昭和60年頃、ベルリンの壁崩壊より数年前、まだオーストリアにも日本人旅行者は
少なかったのでしょうね。そこでのオペラ留学は一生の思い出でしょう。
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>・・当時の景色・・sudtirolの山々を思い出し・・
>・・お世話になった家族の皆さん・・連絡を取った・・
>・・思い出の土地・・喜びを感じる・・
南チロル・ドルフチロルの真っ赤なリンゴを、この9月末にまた見に行きました。
97年6月、ドロミテからの途中で寄ったとき、一面のリンゴ畑に感動し
(=妻が。私は育ちが長野のためそれほどでしたが)、
今年の旅でスケジュールを作り見に行ったわけです。
日本のリンゴと違った、低木の並木があたり一帯・・・
赤・緑・黄色の実が・・庭先にテーブルを出し、家族・親戚などで
日なったぼっこしながらの団らん・・良いですね・・・
(ドルフチロルの今年のスケッチ、まだopenしていませんが、以下のURLに格納しています)
https://www.eu-alps.com/d-site/99-2design/99dolftirol1.jpg
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>すばらしい出会いがありますよう心よりご祈念申し上げます。
本当に旅先ではいろんな人の暖かさ・親切さを感じます。
田舎の方に行くほど強く感じます。たくさんの方と知り合い、
わずかな単語で精一杯コミュニケーション・・・帰ってきてからの文通・・
そして、その感動などをスケッチ・HPにして・・
・・皆さんからのお便りも・・・人生楽しんでいます。
今後ともよろしくお願いします。 11/10
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●(2)
先日はメールありがとうございます。
本当に懐かしくって、メラーノのホストファミリーに連絡を取りました。
ヴィーンの音大で一緒だった男の子はヴィーンのオーケストラのヴァイオリニストとしてよく来日しているとの事・・・僕が引っ越してしまって連絡が取れなかったようです・・・
年明け早々に、友達と2人で出かける予定ができました。
それでは次の旅も楽しくお気を付けて行ってきて下さい。
yuichiro DAIKAI 11/14
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【Res:】
>本当に懐かしくって、メラーノのホストファミリーに連絡を取りました。
>ヴィーンの音大で一緒だった・・・よく来日しているとの事・・・
>僕が引っ越してしまって連絡が取れなかったようです・・・
こちらから積極的にしていかないと・・・何でも続かないですね・・・
旅先への礼状や返答もそんなところがあります。
そんな点、e-mailはけっこう気楽なせいか継続しやすいような気がします。
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>年明け早々・・友達と・・出かける予定・・
一番がんばれる時でしょう。これと思った人/物事に・・頑張ってください 11/16
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●(3)
ところで、遅くなりましたが、ホームページようやくご紹介できました。
文章がつたなく申し訳ございませんが、お許し下さい。
−−−−−旅のスケッチ−−−−−
[ヨーロッパ・アルプス峠 ドライブ 写真 絵本](by kitamura)
あるご夫婦がヴィーンからニース、そしてチェコ、ポルトガルあたりを旅しながら
アルプスの峠の風景をVTRや写真、日記、スケッチから絵本にまとめていらっしゃいます。
といっても、旅はまだまだ続くそうです・・・。
まず日本人がほとんど行った事がない僕の居た町、
メラーノ(ミラノとは違う)「Merano(Meran・・・イタリアなのにドイツ語とフランス語が使われている)」の風景も載っていて、驚きました
・・・だって日本人が行っているとは思わなかったので・・・
行き当たりばったりで、初めてこのページにたどり着いた時には13年前を思い出して涙があふれてしまいました
・・・なんだか「ホッ」とするホームページです。
是非ご覧下さい。
https://www.eu-alps.com/ 12/11
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【Res:】
いやー、大変なお褒めの言葉・感想を頂き、今後ますます旅をして、
ほっとするページを増やして行かねばならないと・・・頑張ります。
ちなみに今回のドルフチロルの記述・写真は、多分年明けの2-3週目に
なると思います。 12/17
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●(4)
昔の写真を探してみようかと思います。
メラーノにはすごく小さなオペラ劇場があるんです。
テアトロ・プッチーニ(600人収容)しかし、本格的でバイロイト祝祭劇場と同じように舞台の下にオーケストラ・ピットがあるんです。
川沿いの野外音楽堂ではJAZZ Festivalを夏場は毎晩開催していました。
夜毎教会で開催されるクラシックコンサートや街のあちこちで開催される舞踏会本当に夢のようでした。
前に書いたかもしれませんが、教科書に載っていた日本人はチョンマゲ結って刀さしてスーツ姿でした。
そんな所だったんですが・・・どうなっているんでしょうか?
「蝶々夫人」上演に際し、すごかったのは、蝶々さんが帯を前で結んで、ぽっくり履いて、簪を何本も頭に刺していたことです。
一度も日本に来た事のない人達が上演するのだから、当然といえば当然ですよね!
逆に日本人が上演する物もそう思われているのでしょうか?
第一弾として取り急ぎ送ります。
墨田区 大海雄一郎 12/19
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